アルプスの大地と地形

サイトマップ
自然と癒し!信州安曇野の旅

アルプスの大地と地形の旅

TOPページ>アルプスの大地「地形と地質」in信州安曇野
              

アルプスの大地「地形と地質」in信州安曇野


 安曇野の西側には、3000m級の山々が連なっています。北アルプスですね。飛騨山脈のことです。小学生の社会の時間だったでしょうか。安曇野の大地地形を習った覚えがあります。

 そして、松本から安曇野にかけて平らが続きます。松本盆地と呼ばれるところです。北は、源を槍ヶ岳として、北アルプスを削って流れ出し、さらに浸食したり堆積をしたりしながら、安曇野の大地を造ってきた高瀬川は、明科で犀川と合流して北に進路を変え長野市へ向かいます。

 また南からは奈良井川や梓川が同じように浸食や堆積を繰り返しながら安曇野の大地を造り、合流して犀川となり明科で高瀬川と合流して長野市に向かって流れていきます。

 そして松本盆地(安曇野)の東側には1000m級の北アルプスよりは低い丘陵地帯が広がります。現在の地形よりも大まかに等高線を結ぶと、過去の地形図が出来るのだそうです。(切峰面図)それを見ると、なんとなんと松本盆地の東側には長野上田まで続く平坦面が続いているではありませんか。それを大峰山(1015m)にちなんで、大峰面と呼ぶんだそうです。びっくりですよね。そこで安曇野の大地の生いたちを調べれば調べるほど何か自然の不思議を発見できる様な気がして調べてみました。
     
 スポンサードリンク

 北アルプスの麓、安曇野の西側には、アルプスからいくつもの川が流れ出し、いくつもの扇状地を造っています。数多くの扇状地が重なっているので、複合扇状地というそうです。そして、安曇野を挟んで東側には、高瀬川や犀川が造った河岸段丘が見られます。その河岸段丘の上にですね。また、川の流れによって、複合扇状地が出来ているんですよ。

 これはもう、カメラを持って撮りに行かなくちゃ。写真を撮りに東山に登ったときのことです。尾根沿いにですね、大きな岩が転がっているんです。大きさは2〜3m位の巨礫です。しかも、花崗岩です。花崗岩と言ったら北アルプスの岩じゃないですか。誰が何のために運んできたのでしょう。これも調べちゃいました。

 それはですね。当時は当時と言っても、70万年も前のことらしいんですけど、まだ、松本盆地は、出来ていなかったようです。山砂利(花崗岩)と言われるようですが、では、何故こんな高いところに、大きな岩が転がっているんでしょうか。安曇野の大地は何を語ってくれているんでしょうか。

 実は70万年ほど前までは、北アルプスも今みたいに高くなく、丘陵地帯だったようです。しかも、北アルプスは、松本盆地の中央まで迫り出していたようです。そして、北アルプスが浸食され、浸食されたものが海の中に堆積しながら東山を造っていったようです。だから、東山は海水面ぎりぎりの準平原だったようです。そこへ、北アルプスから巨礫が供給されていたようです。しかし、巨礫の乗っている下部の青木層からも巨礫が入っていることが分かり、山砂利説は否定されたようです。う〜む、難しい。そして、その後、北アルプスや東山が急激に隆起して、相対的に松本盆地は陥没して今のような地形になったようです。

 ただし、東山の隆起は北から起こったらしく、事実、北部にある土尻川は昔の流れを反映して、東に流れていますが、それより南の川、金熊川などは、東に向かって流れ、一端、90度曲がり南へ流れます。そして、また、東へ流れを変えています。ところがもう一回、南に90度方向を変え流れ、また、東へ流れを変えています。
 これこそが、北から隆起してきた証拠になるようです。河川の争奪という様です。自然ってすごいですね。ちょっと待ってください。今、東山は海で堆積していって造られたと言いましたよね。当時、信州安曇野は海だったんですか。これも調べちゃいました。

 年代はもっとさかのぼって、中生代末から新第三期(約6500万年前)に大きな地殻変動が起こり、第三期中ごろ(約2600万年前)には、長野県は海の中に沈んでしまったのです。つまり日本列島は真ん中で真っ二つ、日本海と太平洋がつながってしまったようです。
 
 フォッサ・マグナ(大きな割れ目)と言うそうですが、ドイツの地質学者ナウマンが命名しました。もう少し詳しく言うと、フォッサ・マグナの西の縁は、糸魚川−静岡構造線と言って、北アルプスと安曇野の間を大きな断層帯が通り、東の縁は柏崎−銚子線といって、その間が大きく陥没していまい。海となってしまったようです。驚きですね。そういえば、長野県ではクジラの化石がみつかりますもんね。当時はクジラが悠々と泳いでいたんですね


 当時中生代後期の北アルプスは海から顔を出し丘陵地帯でしたが、中生代後期白亜紀酸性火成活動により地下では、花崗岩が生成され、地表に現れたものは、濃飛流紋岩として堆積していたようです。なるほど、だから北アルプスには、流紋岩や花崗岩があるんですね。ところがですよ。北アルプスから供給され、堆積して出来た東山の地層からチャートが

出てくるのは何故?チャートって海の中で堆積して出来た岩石でしょ。またまた分からなくなってきた。もしかして、昔は北アルプスも海の中だったりして、これも調べましたよ。実はそうなんですね。その証拠に、白馬岳には、石灰岩もあり海百合の化石も発見されています。また、プレートの沈み込みの時にいろいろな岩石を取り込んで出来たオリストストロームがあります。

 白馬岳付近は飛騨外縁構造帯に属し、奥飛騨の温泉郷まで続いています。確かに、奥飛騨の福地では珊瑚の化石が発見されています。特に、1980年に福地層群から貝形虫の化石が発見され、4億8000万年前の日本で一番古い時代(オルドビス紀中期)の化石が発見されたと、当時、新聞やテレビで報道されたことを覚えています。飛騨外縁構造体自体、先三畳紀時代のプレートの沈み込みの場所だったようです。日本列島自体存在しなかったんですね。
 
 古い大陸、今の中国大陸と言っていいのかな?飛騨帯ですね。その外側に海溝があり、プレートが沈み込んでいたんですね。そこで、変成岩が造られたんですね。それを先三畳紀変動と言うそうです。そこで、白馬や小谷付近の地層が出来たんですね。そして、三畳紀に入って、西側からの圧力で上昇して陸地になっていったのです。それは三畳紀変動と言われています。その後、火成活動が起こり、今の島弧のもとが出来ていったようです。

 このように信州安曇野の生いたちを探っていくだけで、日本列島の起源までさかのぼってしまうんですね。すごいことですね。そしてその証拠が、今の時代に残っているんですね。特に信州安曇野には、日本列島の生いたちの証拠があるんですね。興味のある方は、信州安曇野の大地「地形・地質」の旅と銘打って散策してみるのも楽しいでしょう。
                           
コンテンツページ
TOPページ
プロローグ安曇野の四季
安曇野の自然「地形と地質」
安曇野の山菜
安曇野をバイクで走ろう
北アルプス登山情報
安曇野のキャンプ場
安曇野釣り情報
安曇野スポーツイベント
安曇野のキノコ
安曇野の酒
安曇野のミュージアム
安曇野グルメ情報
安曇野の温泉情報
安曇野周辺のスキー場
薪ストーブのある暮らし
 写真集
 リンク集
 管理人プロフィール
 管理人へのメール
アルプスの大地と地形の旅
リンク・相互リンク募集について
Copyright (C) 自然と癒し!信州安曇野の旅  All Rights Reserved
当サイトはリンクフリーです。当サイト内の写真・文章・デザインの無断転載はご遠慮願います。